えこまいちゃんの話 41


グリーフケア研修
2015年10〜12月

グリーフケアの研修会は
たっぷりわたしを観る、とても濃い時間でした。

最終日の帰り道
呼吸が深くなっていることに気づいて、びっくり!
フェルデンクライスでも
こうやって丁寧に自分を見つめるワークでも、同じような変化があることに驚きました。


ずっと感情をとめて、その場に対応していたことに初めて気づいたのは10年前。
まだその奥に、あったのだなぁ。

最終日に提出した学びを、ここに載せておくことにします。


研修会での学び
@グループ全体との関わり
誰かのひとことや微笑みで話の流れが変わったり、形を自由にしていく感じが興味深かったし、居心地良くもあった。水面に小石が投げられたみたいにその輪が広がっていく。次のセッションまではその輪に揺られながら余韻を楽しむ時間であったようにも思う。

Aグループメンバーひとりひとりとの関わり
「何を語るのか」「その経験のどこをどう語るのか」によって、同じ人なのに印象が全く違う。
そのときにしか出会えない、その人と出会うのだな。一瞬一瞬がとても大切に思える。

そのときに素直に口に出した想いもあり、言葉にせず”そうなのかぁ…”と、そのまま流れに任せたときもあり。
その人の語りから、よく似た経験や想いが刺激されて何十年ぶりに浮上してくるものたち。久々にスポットがあたったわたしの一部。

いまは言われた言葉そのものより、その人のたたずまいが印象に残っている。みんないい顔。

そのひとがわたしを鏡として、いまの自分に響いたものを選び、持ち帰るのだな。配慮がいる方との時間が多い仕事だけれど、支援者の中心にある「あなたに生きていてほしい」「またお目にかかれて嬉しい」「少し気持ちが晴れたなら、よかった」などが、ちゃんと存在から伝われば、大丈夫なのかも。芯がぐらつかなければ、そこからすごく枝分かれした先(支援のときの態度やことば)からは、それが自然と伝わるんだ。


自分の持っているものの素敵なことに、なんと人は気づいていなのだろう。回を重ねるごとに「いい顔で微笑むんだなぁ」「きっとこんなふうに寄り添ってはるんだろうなぁ」とイメージできるようになった。そのひとのままが居ることが、とても大事な気がしている。

Bスーパーバイザーとの関わり
特別な存在から、いい意味でメンバーを構成しているひとりへと変化していった。
はじめは質問されていることの意味がわからなかった。いまの発言のもっと奥にあるものについて話すことが、そうない経験だったからかもしれない。
「ん?えっ?う〜ん。。。」たどたどしく言葉にしていくうちに気づく感情や体験。自分の中でつながっていく感覚。想いに合う言葉を添えてもらえたり、もう少し深いなにかに気づくような声かけ、間、グループをコントロールしようとされてないだな…とか、そのことから起こる “次、わたし?” “誰か何か言うかな?” 探り合いも “言いたいけど、また質問返しされたら答えられへんからなぁ。。” “それってどういうこと?聞きたいけど、これは感じてるんか頭が動いてるんかわからへ〜ん!” 戸惑いも、思わず口に出てしまうことも、刺激されて涙ぐんだりも…この場とメンバーを知っていく大事なプロセス。なんで生育歴からなのかな?と思っていたけど、このワークの順番も違ってたら、いまの感情とは出会わなかったのだろうなぁ。

SVもきっと存在がまず大事で、どこからでもその人をSVとして信頼できたら、その人と関わることはすべて、わたしにとって学びの助けになるものなのかもしれない。

“ん?いまから変わるの?” 同じグループの中でSVが変わることは、がらっとグループセッションも変わるんだと体験できて、面白かった。

この人は信頼してもええ人って、どこでそう感じてるんだろう?
けっこう早くに、そう思えているかも、いつも。


C自己との関わり
生育歴:大人になって家族以外の人に、たっぷり認められたことで、たくさん褒められたわけじゃないけど家族なりのやり方でちゃんと愛されてたやなぁ。。と気づけた。周りの人にいつも助けられながらスクスク、いまも素直に育っている。このままのわたしでええんやなぁ。…というか、このままでしか居られない。

死生観:死ぬのは自然なこと。生きている間のどんな経験もそのひとの受けとり方なのかな。選ばれたんじゃない、ただ生かされているだけで、このカラダも借りものだな、ある日そう思った。

自然をお手本に、赤ちゃんが育っていくみたいに、はじめてのこともたくさん失敗しながら楽しんで身につけていく。お日さまを浴びて、土に触れて、季節を感じられる空気、音を感じて、ちゃんと動物らしく体を動かして、こころをゆらして。実家の庭、土の上は命の育まれる場所でもあり、静かに命を終えて次につないでいく場所でもあり。本人も気づかずに与えられている役割をキラキラ果たして誰かの栄養になって消えていく、すぅ〜と。

会話記録:人って、命って、思っているよりずっと力強い希望だ。
もしかしたら看護師になったときから、阪神淡路大震災からさらに、ずっといのちのことを考えているのかもしれない。

D次の一手
この人のこと、もっと知りたいと思うのは、その人といるときのわたしをもっと知りたいってことなのかな?だれかにとってわたしは、その人の感情ととても揺らす人で、それが心地よい人とそうでない人がいるのかも。こちらが感じていることは相手もよく似たことを、感じてたりするのかな?その人に刺激されたのがわたしのどこか…によって、印象が違って感じられるのかな。

こうと決めてしまわずに、そのときそのときのその人と出会う。
縁あってつながってくれてるひとたちのこと、それぞれの距離感で大事にする。

「あながた居てくれて、ありがたいよ。大事に思ってる」
相手に伝わるようにちゃんと届ける。それを続けていく。そうしてたら、そのままの自分のことを大事にする人がじんわりじんわり増えていって、自分を一番傷つける自分も、いなくなるんじゃないかなぁ。




これだけの言葉がわたしのどこからか出てきたのか、今でも不思議です(^.^)




続きはこちらを、どうぞ(^−^)


posted by えこまいちゃん at 2016年05月09日 23:55 | Comment(0) | えこまいちゃんの話
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